「あん?なんだ?」
フロアが一瞬にして騒がしくなり、厨房に引っ込んでいた跡部は首を傾げた。
本日、氷帝学園文化祭二日目。一般公開の部である。
タレントの集まる男子テニス部の催し物は当然の如く話題となり、特設のカフェテラスには人が溢れていた。
「ああ跡部さん!」
執事姿の鳳が、銀のトレイを振り回しながら走ってくる。
「長太郎!」
「はいぃぃ!」
元部長の張りのある声は、彼に扱かれた部員たちには効果覿面だ。
とかく叱られがちだった鳳の背筋がピンと伸びる。
「執事の第一条件は!」
「はいっ、<常に冷静であること>ですっ」
「そうだ。だが、今のお前はどうだ?」
「…う」
跡部のお咎めを受けて、鳳はしょんぼりとうなだれた。
「あの…でも…」
「…ったく、どうした」





「手塚さんが、来てるんです」








テーブルに案内するメイドを、手塚は見知っていた。
「こちらへどーぞ」
ぎこちなくお辞儀をすると、ワインレッドの髪の上でヘッドドレスが可愛いらしく揺れる。
引いてもらった椅子に腰掛け、メニューを受け取ってから、手塚は至って無表情で言った。
「向日はメイドなのか」
「そうだぜー」
ちょこんと膝を折り、軽く首を傾げてにっこり。
「お帰りなさいませご主人サマ〜。最近流行ってるだろ?」
いわゆるメイド喫茶というやつか。手塚は合点して頷く。
「メイド以外もいるんだ。執事とか和服とかな。老若男女にウケるように」
訂正。メイド喫茶ではなく、コスプレ喫茶のようだ。
言われてみれば、種々混合な衣装が溢れかえっている。
「ちなみに、あそこにいるのは」
手塚が目を向けた先にいるのは、宍戸亮である。
彼のなりは、お洒落な喫茶店の雰囲気を、見事なまでに突き崩していた。
どこぞの軍隊の制服?だがしかし、実用性に欠けるひどく短いスカートだ。あんな軍服を採用する隊などろくなものではない――
「ああ、あれはルナマリア」
考え込む手塚の横で、向日は笑いを耐えながら言った。
「るな…?」
「オタク層をターゲットにするなら、ガンダムシリーズやっときゃ間違いないからな…ッププ…激似合ってるだろ?」
“ガンダム”くらいは聞いたことがある。最近テレビで芸人がよく口にしている単語だ。
だが手塚の脳内にある“ガンダム”の知識といえば、青い服を着て、「アムロ、行きま〜す」と妙にナヨっとした声で喋る少年がいる、ということだけ。
当然向日の言うルナなんとかがわからない手塚は、だがしかし適当に頷いておいた。
似合っていることには違いないのだから、特に問題はないのである。
それよりも気になるのは。
「跡部は…」
軽く周囲を見回しても姿が無い。果たして彼がどんな恰好をしているか、正直気が気じゃないのだ。
「跡部は…すごいぜ?」
どこか誇らしげに少年は言う。
手塚は嫌な予感がして、向日にはわからないほど微かに、眉を寄せた。
「すごいとは一体――」
キャアアッ!!
突如、女子の黄色い悲鳴が響き渡った。
何事かと顔を上げれば、皆一様に同じ方へ体を乗り出している。
「?」
彼女達の視線を追って、手塚が見たのは。








豊かな金茶の長髪は、美しく巻かれ、胸元で誘うようにふわりと揺れる。
細い首には漆黒のチョーカー。
チョーカーと同色のエナメル素材のワンピースは、前部分が編み上げになっており、身体のラインが綺麗に出ている。
その上丈は膝上10センチほどといったところで、さらにスリット入り。
そこから伸びる見事な美脚は、途中からブーツに覆われていた。
高いヒールにまごつきもせず、颯爽とこちらに歩いてくる姿が、サマになりすぎではなかろうか。
腰の動きに合わせて左右に揺れているのは――ヒップのあたりから垂れ下がっている、細い尻尾らしきものだ。
それから、背中に生えた蝙蝠のような翼。

「よく来たな、手塚」

手塚の目の前で、人を惑わす悪魔が艶然と微笑んだ。

「……」
「おい」
「………」
「ってづかぁ!」
「!なんだ跡部。近くにいるんだから、そんなに大きな声を出さなくても聞えるぞ」
「お前なぁ…」
跡部は額に手をやり、思いっきり息を吐いた。
「無言で人の顔見てんなよ」
「それは…すまなかった」
手塚自身、なぜそのようなことをしてしまったのか解らなかった。
言葉のみならず思考までも放棄して、彼の視界はただひたすら跡部を捉えていた。
あれは一体なんだったのだろうか――。

と、跡部の背後に人影が現れたと思いきや、するりと腕が腰に巻きついた。
「手塚はリリムちゃんに魅せられてしもたみたいやねぇ」
甘い響きの関西弁が、笑いを含んで手塚に言う。
「リリム。美しい容姿を持ち、無数の男たちを誘惑する好色な女悪魔。どや、跡部にピッタリやろ?」
「誰がピッタリだって?忍足」
腰に固定された手の甲を、跡部は思い切りつねる。
手の持ち主はあっさりと彼から離れて、悪びれもせずにこりと唇を上げた。
「ちょっと女王様っぽい雰囲気もイイ〜!て、評判やん。男だけやのうて女まで虜にしてはりますよ、女王様vやっぱこの衣装にして良かったなぁ…俺の目ぇに狂いはない!」
ぐっと拳を握る忍足の服装は、パイロットの制服だ。
ジャケット、パンツ、帽子に至るまでが目に鮮やかな白。襟や袖口には金糸の刺繍。闇夜の髪は後ろで一つに結わえてある。眼鏡は取り払われ、涼やかな目元が露わになって。
忍足侑士は、生来の気品も手伝って、気圧されてしまいそうな程の貴公子オーラを放っていた。
リリムはその貴公子パイロットの首を締め上げ、凶悪面で迫る。
「お望み通り、鞭でいたぶってやろうか?あーん?」
「忍足さん、テーブルお願いします!!」
「鳳がお呼びや。残念〜SMプレイはまた次の機会にお願いしますわ」
「死ね!」
執事の機転に見事救われ、パイロットは颯爽と踵を返した。
その背中に舌打ちを投げつけて、跡部は再び手塚に向き直る。
「もう注文したか?」
手塚は首を横に振り、いや、と短く返した。
「コーヒーでいいよな」
跡部は、手塚が家では緑茶ばかりを飲んでいるが、外では専らコーヒーを好んで口にすることを知っている。
二人はお互いの嗜好を理解する程に、深い付き合いをしてきていた。
手塚の同意を待たず、跡部はオーダーを伝えるために身体を反転させた。
だが、歩き出せなかった。
手塚が跡部の右手首を掴んだからだ。

「なんだよ、てづ…」

細い手首を捕らえていた手塚の長い指。
5本あるそれが、殊更ゆっくりと、白い手を撫でながら移動していく。
指先まで辿って離れるかと思えば、指と指を絡ませて。
色気を含んだかのような動きに、跡部は吃驚して手塚の顔を見、はっと息を呑んだ。

静かな瞳が、微かに、けれど確かに、情欲の色を溶かし込んで揺れている。

「て、てづか?」

つ、と指の間を優しく擦られて、肩を竦ませる跡部。









「Vous etes les miens.」









手塚は、流暢な発音で言った。
「え」
跡部は呆然としてしまう。
「注文だ。メニューに書いてあるじゃないか」
手塚の言う通り、この喫茶店のメニューにその言葉は書かれていた。
コーヒー、紅茶、ケーキにクッキー。
扱うものはそんなお決まりの品ばかり。けれど、メニューにはありきたりな名前はひとつも無い。

跡部が言い出したことだった。
メニューにただ品名を羅列しても面白くない。
女性が喜びそうな、少し凝った名前を付けてメニューに載せたらどうだろうか、と。

ダージリンなら『Love in Summer』。
ショートケーキなら『fraise princesse』。
カフェラテなら『Matrimonio di angelo』。

言えないし覚えられないし恥ずかしい、といった宍戸の反対は一蹴された。
他の部員たちはノリノリでこの案に賛成し、意見を持ち寄り、結果、英語フランス語イタリア語等々が入り混じった、赤面もののメニューが出来上がったのである。
そして、当の手塚が頼んだメニューは。

『Vous etes les miens.』

ジャスミンティーのことだ。
跡部は、手塚はフレーバーティーが苦手なことももちろん熟知している。
以前跡部邸でアップルティーを出したら、まず香りに顔を顰め、一口喉に通して口元を手で覆っていた。
その手塚がジャスミンティー?飲めるわけが無いに決まっている。

「…それ、ジャスミンティーだぞ」
「わかっている」
絡まっている指がほどけ、再び跡部に愛撫を施す。
「っ…おい…」
「もう一度言うぞ」
掌を掠め、手首の内側の敏感な部分を撫でられて、跡部は堪らず息を詰めた。

跡部と手塚は、お互いの嗜好を理解している。


だから手塚は、跡部が好む愛撫の仕方を、知っている。


「Vous etes les miens.」




ジャスミンティーを飲めない手塚が、性感帯への悪戯と共にそれを注文する理由。




その理由に思い至って、跡部は頬を真っ赤に染める。




「手塚…っ、おまえ、意味がわかって…!?」












無表情な手塚が、瞬間、悪魔も堕ちる極上の微笑を浮かべた。








ジャスミン・・・「あなたはわたしのもの = Vous etes les miens」















ちなみに、
ダージリン『Love in Summer』→夏の恋(英語)
ショートケーキ『fraise princesse』→苺姫(フランス語)
カフェラテ『Matrimonio di angelo』→天使の結婚(イタリア語)
『Vous etes les miens』は『あなたはわたしのもの』のフランス語訳。
本当はetesのeには『^』←こんなのが付くんですが、ここでは色んな事情で(笑)付いてないです、すみません!
宍戸さんが嫌がるわけです。恥ずかしい奴等!(お前がな)
手塚エロ光にしたかったのだけど、全然エロチックにならなかった…


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