二時間目の後の休み時間だった。 クラスの友人二人と体育館へ向かっていた俺は、ふと視界の隅にちらついた鮮やかさに、そちらへと顔をやった。 「あ」 思わず声が洩れる。 廊下を真っ直ぐ、こちらへと歩いてくる人。 鮮やかさの正体は、跡部さんだったようだ。 俺が気付いたのとほぼ同時に、跡部さんも俺に気付いたようで、ブルーグレーの美しい瞳を、ひたりと合わせてくる。 視線は逸らされることなく、目の前まで来た先輩に、きちんと挨拶。 「こんにちは、跡部さん」 「よぉ」 「こんな所で会うの、珍しいですね」 氷帝の校舎は広い。 同じ学年の生徒だって、クラスが遠ければ滅多に顔を合わせない。 二百人弱いるテニス部員とも、偶然廊下ですれ違う、なんてことは稀だ(部員全ての顔を覚えているかは別として)。 そう考えると、跡部さんと校舎内でバッタリ、なんて、本当にすごいことで。 「次は体育か?」 「はい。跡部さんは――」 隣で友人たちが息を呑んでいるのがわかって、内心苦笑い。 気持ちはわからなくもない。100人が100人「キレイ」だと頷くこの先輩の美貌は、毎日間近で見ていても、時々ハッとしてしまうほど整っている。 日に透けて金色に光る髪も、均整のとれた細身の体も、吸い込まれそうな青灰の眼も。驚かずにはいられない。こんなに美しい人間がいるのか、と。 人形のように完璧で――けれど人形よりもずっと綺麗な人。 それはひとえに、この人が活き活きとしているから。息づく生命(いのち)、それこそが何よりも美しいから。 だからますます、美貌が際立つ。それはもう、これでもかと言わんばかりに、全ての人間を虜にして。 本人はその外見を、周りほど評価してはいないけれど。 評価してもいないし、気にもかけてない。 コートの上では、いっそ無関心と言ってもいい。 だってこの人、髪が乱れるのも、体中砂埃まみれになるのも、ちっとも構わず、黄色いボールを夢中で追いかけるんだ。 俺は跡部さんの手元を覗き込んだ。 「楽譜。音楽ですね?」 「ああ。合唱なんだが、伴奏を任されちまった…監督のやつ、指名しやすいからって毎回俺に押し付けやがる」 「ふふ。俺もそうですよ」 「そうか、お前のところも音楽は監督か」 そう言うと、跡部さんは微かに笑った。 それから腕時計を一瞥し、 「もうそろそろ行かないとな。お前らも急げよ。予鈴が鳴る」 跡部さんが言った途端、耳慣れたチャイムが響いた。 それがなんだか可笑しくて、口元が緩む。 「じゃあ、また部活で」 俺は軽く頭を下げた。 先輩は悠々と歩きながら、振り返らずに手をひらりとさせ、遠ざかっていく。 溜息がふたつ、傍らから聞えた。 「…おれ…あんなに近くで跡部さん見たの初めてだ」 「俺も…!ほんっと、なんていうか――圧巻だよな」 「同じ人間とは思えないっつーか」 そこまで聞いて、俺は思わず噴き出してしまった。 二人が面食らった顔をして、覗き込んでくる。 「鳳?」 「跡部さんはれっきとした人間だよ」 「そ、そりゃ、わかってるけどさぁ」 「いいこと教えてあげようか」 俺はにっこり笑う。 彼らは、興味津々で頷いた。 ごほん、とひとつ咳払いをして、 「あの人、手に負えないテニス馬鹿なんだ」 これは、彼の隣を、あるいは直ぐ傍を歩くことを許された人たちだけの、特権。 彼の苦しみも、喜びも、後悔も、希望も、その全てを知り、共に乗り越えていける俺たちだけに与えられた言葉。 「テニス馬鹿」、この言葉を聞いたならば、跡部さんはこう言うだろう。 『これ以上ない褒め言葉だな』 俺たちの愛すべき、美しい生命そのものから沸き立つ、麗しの微笑みと共に。 |