右手を可愛らしく挙げて、少年は陽気に笑った。
★ ROUND14:君のすべてにかけて ★
「忍足クン、ちょっと聞いてくれるかな?」
隣のクラスから、芥川慈郎がやってきた。
ただの芥川慈郎が、じゃない。完全に覚醒した芥川慈郎がやってきたのだ。
二重の大きな目は凛と引き締まり、ネクタイもきっかりと整えられて。
「な、何や?」
雰囲気も違えば口調も違うチームメイトに、数学の教科書を広げていた忍足は、無意識のうちに椅子の背凭れに背中を押し付けて、傍に立つ少年から遠ざかろうと試みた。
とうとう寒さで脳みそが凍ったか?忍足はぼんやりとありえない危惧を抱く。
保健委員の粋な計らいで、風邪菌充満を防ぐべく、忍足のクラスは休み時間になると窓が全開になっている。
愛しの姫君・跡部景吾もジローと共に来たことはもちろんわかっていたが、片割れのあまりのヘンテコっぷりに気をとられてしまい、うっかり挨拶しそこねた。
そのことに思い至った忍足は早々に余裕を取り戻して、後ろに伸びている少年の腕の行き先を追う。
ふんわりした容貌をしているとはいえ男は男、がっちりした骨格の目立つ手は、細く白い手首を悠々と包んでいた。
何を勝手に触っている、と理不尽な怒りが込み上げたが、誰も忍足を責められはしないだろう。
これは恋する者なら誰もが持ち得る感情なのだ。
「おい、ジロー…」
「これからとても大事なことを言います」
「無視かい」
ムカムカがさらに広がる。このまま黙って聞いてられるか!とジローと跡部を引き離そうと腰を浮かしかけたら、
『聞いてやってくれ』
困った顔をしているくせに、その瞳には柔らかな光を孕んで、跡部が忍足に視線で請うてきた。
忍足はもとの様に身体を椅子に置いた。
惚れた弱み、でもあるのかもしれない。跡部から要求されたのなら、忍足は二つ返事で舌を噛み切ることだってできる。
ただ、それとはまた違うものが、彼に失意を覚えさせた。
跡部と、ジローと。そして宍戸。彼女たちの間には、決して切れることのない糸がある。
透明そのものの、誰にも視ることのできない幻の糸。
細い細い糸は、けれど、まるで鎖のように確かに三人を繋ぎ、あたかも糸電話のようにその振動で彼女たちの想いをそれぞれに伝える。
心の信じるままに糸をたぐり寄せれば、必ずお互いを見つけられると知っているから、時に三人は背中を向け合うこともできる。
そして還るのだ。それぞれの胸の内へ。
どうしてこの強い絆を振り払って、焦がれる女(ひと)を奪えようか?
愛してくれるのならば、それだけで充分だ。他に何よりも誰よりも大切な存在があろうとも、嘆きはしない。
そう考えられたらどんなに楽だろうか。
けれどそれは無理な話で、きっと、ずっと、彼女を独占したくなる。自分だけを愛してほしくなる。
わかっているから、忍足はいつでも痛みを感じ、嫉妬を抱き、果ての無い絶望に溺れそうになる。
それでも、彼女を諦めようなどとは思いもしない。
いたちごっこの葛藤の中心で息づく恋情は、どこまでもどこまでも美しいのだから。
「―――聞いたるよ」
溜息ひとつで気持ちを押し込めた忍足は、ジローの顔をひたと見据える。
すると、右手を可愛らしく挙げて、少年は陽気に笑った。
「せんせぇ〜」
「は?」
「発音が違う。それじゃ先生になっちまうぞ、ジロー」
あ、ごめんごめん!と言いながら、握ったままの跡部の腕を左右に揺らすジロー。
奥底に押しやったばかりの嫉妬心がむくりと頭を擡げてきそうになって、忍足はこっそり頭を振る。
瞬きを終えてもう一度ジローを仰げば、彼の面差しがピンと張り詰めたものになった。
「宣誓―――わたくし、芥川慈郎は、跡部景吾の幸せのために、この恋を終わらせ、生涯力の限り跡部景吾を見守り、跡部景吾に不幸をもたらす存在を赦さないことを誓います」
「…え、」
「本気なんやな?」
「もちろん」
「ちょ、ちょっと待て!!何だよ今の!?おいジロー!」
ジローが忍足を訪ねる理由は知っていても、その内容までは教えられていなかったらしい。
慌てる跡部を他所に、今度こそ忍足は立ち上がった。
逆転する視界。見上げるかたちになっても、紅茶色の瞳は力強いままだ。
「何に誓う?」
その揺ぎ無い想いを
「景ちゃんの、すべてに」
きみのすべてに懸けて誓おう。
「それやったら破る心配はあらへんなぁ」
「でしょ?…と、いうわけで。」
わけがわからずに黙り込んでしまった跡部へにっこり。
捕まえたままの腕を少し引き寄せてから、そのまま指先を捧げ持ち。
「あ、コラ!」
「!?」
音も無く薬指に触れたそれは、誓いのキス。
「とりあえず俺はけんたろうを応援するから。おっしー、景ちゃんに近づきたかったらまず俺の了承を得てねv」
「なんでそーなるん!?」
「っていうか、誰か俺にこの状況の説明をしろー!」
開きっぱなしの教科書が、ぱらぱらと音を立てる。
木枯らしは3人の間を吹き抜け、教室の空気に溶けて消えた。
寒がる他の生徒たちとは裏腹に、彼らはどこまでも元気に声を上げる。
春まで、あと少し。
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2年生の設定だったので、そろそろ3年に進級させようかと。
時期外れですが、3学期の終わりあたりということで。
っていうことは次あたりから新学期!つまり新章!?
そんな感じでよろしいかしら?ふうたさん(笑)
ジローは潔い人だと思います。
もしかしたら氷帝でいちばん大人なのかもしれないですね。
ますます忍足は大変になってきました。
その上Tの人とかSの人とか挙句の果てにはRの人とか出しちまうかともっさり思ってるのは涼河ですすみません
2005.06.10 涼河
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