『景ちゃん来てるよ』









★ ROUND20:ざんこくな雨 ★








いつになく、南は焦っていた。
貴重な昼休みを潰してくれた委員会の仕事が終わって、携帯を覗いてみれば、一通のメール。
まず、その内容に驚いた。
今、山吹中は昼休みの真っ只中。ということはつまり、氷帝学園も昼休みに違いないわけで。だというのに、跡部が何故か山吹に来ているというのである。
それから、跡部の来訪を知らせた相手が千石だということに冷や汗が出た。
初めて対面したとき、跡部は千石が相当気に食わなかったようで、彼にコップの水をぶっかけていた。
そんな二人が顔を合わせてしまったら――何か騒動が起こるんじゃないか。というか跡部が騒動を起こすんじゃないか、と南は危惧したのだ。
そして何より――千石からの、そのメール。
普段の千石のメールといえば、無駄に凝ったタイトルやら、意味のない絵文字の羅列やら、用件がわかりにくい長ったらしい文章やら、とにかくテンションが高いものばかり。
だというのに、今回のメールは、タイトルも無く、絵文字も無く、ただ一言。

『景ちゃん来てるよ 3階空き教室』

携帯の画面を通して、千石の冷たい空気が伝わってくるかの様な錯覚に陥って、南はヒヤリとした。
なにか、あの千石を不機嫌にさせる出来事があったのだろうか?
原因は跡部?……それとも?

考えれば考えるほど焦りが募って、廊下を走り出す。
角を曲がるとき、ひとにぶつかりそうになったが、構ってなどいられなかった。

早く二人の元に向かわなければ…!

言い知れぬ焦燥と不安に駆られて、南は指定された場所を目指した。




(3階の空き教室…ッ理科室の隣か!)

当たりをつけて戸を勢い良く引く。
果たしてそこには、千石と跡部の姿があった。
使われていない教室の中、取り残された机と椅子が雑然と並べられている。
僅かに埃の乗ったロッカー、白い筋が残る黒板と折れたチョーク、カーテンを除いた窓。
どこか寂しいその空間、二人はただそこにいた。
南が立てた大きな音に、驚いたように振り返りはしたが、二人の間には緊迫した空気も険悪な雰囲気もない。
想像していた事態にはなっていなかったことに、南はひとまず胸を撫で下ろした。

「健太郎!」

跡部が駆け寄ってくる。山吹のジャージと少し湿った髪という彼女の態に、南の眉間に皺が浮かぶ。

「景…今日は、学校に行ったんだよな…?」

跡部は南の質問に答えることはせず、そっと俯いた。
未だ窓際の椅子に腰掛けたままの千石に目を向ける。困ったような笑顔で、オレンジの頭が微かに縦に動いた。
その少年の足元には、ぐしょぐしょになったローファーが一足。目の前の少女が素足に履いているのは、来客用の緑のスリッパ。

「学校で、何かあったのか?」

連絡も無しに、傘も差さずびしょ濡れになって、山吹まで来てしまうような何かが。


「―――なにも。」


呟いて南を見上げる瞳が、今にも泣き出しそうにゆらゆらと揺れる。
けれど、とうとう涙が零れ落ちることはなく。


「…そっか」


何もないわけないだろ、だとか。
泣いてもいいんだよ、だとか。

こんな時まで意地っ張りな跡部に、言える勇気もなくて。
南はありったけの優しさを込めて、冷たくなった金茶の髪を何度も何度も梳きながら、静かに跡部に微笑い返すことしかできなかった。










昼休みはとっくに終わってしまっている。
このまま学校にいて教師に見つかりでもしたら厄介だし、いくら着替えたといっても、雨に打たれた跡部の身体は冷え切っていて、風邪を引きかねない。
という訳で、早々に南が跡部を家まで送ることになった。
制服は、千石が機転を利かせて、保健室の乾燥機に突っ込んでおいたと言うので、三人は授業中でしんとした校舎を足早に移動した。
保険医が不在であることを確認し、跡部だけを室内に入れて戸を閉める。

「ふぅ」

ため息をひとつ。それから閉めた戸にもたれて、千石が座りこんだ。
南は派手なオレンジ頭を見下ろしながら、申し訳なさそうに言う。

「悪かったな」
「いいえーかわいこちゃんのためならお安い御用ですよぉ」

茶化した態度でそう返したきり、千石は黙りこくってしまう。
なんとなく気まずくて、南も二の句が告げない。
しんとした空気と雨の匂いが、二人を包み込む。
微かに聞こえてくる授業の声――ああ、そういえば、5時間目は地理だった――「南。」
ハッとして、南は声の主を見た。
彼の視線は廊下を見据えたままだ。

それでも、南にははっきりとわかった。

千石は、怒っている。

不意に、先ほどの素っ気無いメールを思い出す。
千石は不機嫌だったわけではない。
怒っていたのだ。

「ねぇ、南」

固い声。冷たい空気。
メールの比ではないその冷たさに、南の背を寒気が走る。

「…なんだよ」

やっとのことで応えると、オレンジが微かに揺れた。
垣間見える眼は、普段の暢気な色などなく、純粋な激情だけを宿している。






「景ちゃん、すごくツラそうな顔してたんだ……泣いちゃいそうな…傷ついた顔…」






感情をやっとのことで抑えているのだろうか。
千石の声が、いつになく低い。






「俺は、さ………俺は、景ちゃんにあんなツラそうな顔させる奴を、許せないんだ…それが例え―――」






つい、と千石の顔が上がる。
射抜くような視線が、南を捉えた。










「南でも」










(ああ、そうか。こいつ――)










「ごめん」
「なんで、謝るんだよ」


訊かなくても、答えなどわかりきっている。


「南が景ちゃんを傷つけるだなんて、思ってないけど」
「……」



「俺だったら、景ちゃんに悲しい思いは絶対させない。



俺が、景ちゃんを、幸せにしてみせる」






だから、ごめん。

















残酷な雨は、まだ、止まない。





















★ ROUND21(次) ★ ROUND19(前) ★ LF!top ★ プロペラcontents ★


あとがき

Fにせんべフラグを立ててもらったので、がっつり食いついてみました。
千石清純(中学生)に壮大な夢を見る涼河です。

景ちゃんにとっては、千石と遭遇したことで「やわらかな雨」になったけど、南からすればそうはいきませんでした。
さぁ、どうする?南。
そして忍足。
待て、次号!←

08.03.17 涼河