★ ROUND22:答えはきっと ★




帰宅してからずっと、跡部は部屋に篭り、ベッドの上で暗闇に沈む天井を見つめている。
明かりをつけることすら億劫だ。
指の一本だって動かしたくない。

何も考えたくないと思うのに、頭はここ数日の記憶を無造作にリピートし続ける。

仲の良さがありありとわかる、二人のやり取り。
優しい顔で岳人を見る。
冗談を言い合って笑う。
ストロベリーの可愛いシャーペンが、お気に入りだと言う。
休日に一緒に街へ出掛けるほど、距離が近くて。
嬉しそうに忍足の名前を呼ぶ、少女らしい明るさ。
事務連絡でしか鳴らない携帯。
腕を捕らえられる感触。
震えながら、自分より大きな身体に掴みかかった。
振り払った先、階下へ落ちる――

胸があまりに苦しくて、跡部は強く目を閉じた。
目の奥が熱い。


読めない笑顔で、好きだと臆面もなく言ってのける、低い声。
その声で、優しく岳人を呼ぶ。
笑う顔の中、黒い瞳だけは真剣な色を滲ませていたから。
信じてしまうところだった。
けれど、その瞳で、大事そうに岳人を見つめる。
その瞳で、冷たく跡部を射抜く。
小柄な少女を抱きしめて、許さないとばかりに。


「……っ」


痛い。苦しい。
どうして?
心臓が張り裂けてしまいそう。


暇つぶしにからかわれたから?

そこら辺にいる女と同じように、落とせると思われていたから?

嘘をつかれたから?

敵意を向けられたから?


どれも正しくて、どれも間違っている。

忍足だけでは無く、岳人にまで腹が立ってしまう。その理由は、多分…きっと。



本当は、笑い合う姿が羨ましかった。
まるで隣にいるのが当然とでも言うような、二人の間の空気が、気に障った。
忍足の隣にいるべきなのは、跡部じゃない。岳人なのだと、見せ付けられているように思えた。
岳人といるときの忍足は、本当に自然で、優しい雰囲気を纏っている。





だから、忍足にそんな表情をさせる岳人が、羨ましくて―――妬ましかった。






何故、隣にいるのが自分では無いのだろう。
何故、笑い合えるのが自分では無いのだろう。
何故、彼にあんなに幸せそうな顔をさせるのが、自分では無いのだろう。






認めてしまえば、たった一言で片付く、この感情。
自分自身ですら誤魔化して、心の奥で何度も何度も殺されたであろう、想い。
心臓がじくじくと痛むのも全部。
息の仕方を忘れてしまうような、酷い衝撃を受けたのも全部。
“こんなもの”の所為だ。

今更、認めたくなどない。
だって、知ってしまったら、もう元には戻れない。


相手はこちらをからかっているだけだった。
信じてしまいそうな―――信じてみたいと、考えた瞬間もあったけれど。
やっぱり、嘘だったから。
腹も立っているが、何より、深く傷つくのは嫌だった。
いつも強くあろうとする自分が、“こんなもの”の為に弱くなってしまうのが許せない。




「でも…キツイな」


きっともう、自分の心から目を背けることはできない。


ついに耐え切れなくなって、つ、と一筋、涙が零れた。
瞬間、枕元に放り出してあった携帯が着信を知らせる。
跡部はほとんど反射的に、通話ボタンを押してから、しまった!と顔を歪めた。
ディスプレイには、幼馴染の少女の名前。
しばしその名前を眺めていると、『景?』と戸惑った声が微かに聞こえてきた。
ここで切ってしまうのは不自然だろう。仕方なく、慎重に応えを返す。

「もしもし」
『……』
「?おい、亮?」
『…今、お前んちの前にいるんだけど』
「え?」
『部屋に、すぐ行くから』
「は!?何言って、おいっ!亮!?」

叫んでも、電話はとっくに切れてしまっている。
少しの間呆然としていた跡部が、弾かれたようにベッドから飛び降りる。
内線電話に駆け寄って受話器を取れば、すぐにメイドが出た。

「多分、もうすぐ亮が来ると思うんだが、通さないでくれ」
『申し訳ございません、お嬢様…亮様は先ほど既においでになりまして…』

これで訪ねてきたのが岳人や滝だったならば、使用人達は跡部の許可を得てから、まず客間に通すだろう。
だが相手は宍戸。お嬢様の幼馴染であり、小さな頃から頻繁にこの屋敷に出入りしている人間で、彼らとも親しい。
“景に許可はもらってる”と宍戸に言われ、そのまま門も玄関ホールも通してしまったらしい。
跡部は受話器を置いて、小さく舌打ちした。
急いでドアの鍵を閉めようと向かう。
だが、一足早く、辿り着いた宍戸が外から扉を開け放った。

「おっまえなぁ…どんだけ脚速いんだよ…」

そんな小さい家でも無いんだぞ!
跡部の文句も聞かず、宍戸は部屋の主を押しやってドアを閉める。

「つーか何だよ、いきなり来て」
「景、何があった?」
「…何があったって…意味わかんねぇんだけど、」
「じゃあどうして泣いてたんだ?」
「っ!」

部屋の中は随分暗くなっている。赤くなった目許が見えるとは思えない。
はぁ、と宍戸が大きくため息をついた。

「お前ね、何年幼馴染やってると思ってるんだよ。電話ん時の声でバレバレ」
「……」
「あんな声で電話出られちゃ、無理やりにでも会うしかねぇだろうと思って」
「…普通に出たつもりだった」

拗ねた風な跡部に、宍戸はもう一度ため息。

「あーまぁ、他の奴らなら誤魔化せたかもな。でも、俺とジローには通用しないし」

苦笑する宍戸の気配を感じて、跡部の肩から力が抜ける。
本当に、幼馴染なんて厄介で仕方ない。
プライバシー侵害もいいとこで、隠し事などできやしない。
けれど、そんな彼女たちの存在に、たくさん救われているのもまた事実だ。

跡部は力の抜けたばかりの肩を竦め、電気を点けた。
その顔を見て、幼馴染の少女は、満足そうに笑った。



************

一通り話し終えた跡部の前で、宍戸が紅茶を口に含む。
喋っていた跡部よりも、よほど喉が渇いたのかもしれない。
相手の目を直視することを躊躇ったおかげで、彼女がずっと祈るように手を組んでいたこと知ってしまった。

「それで、お前はもう、答えを出したんだろ」

いつもの騒がしい声とは違う。
静かだけれど優しい声で、宍戸が問いかけてくる。
跡部はそっと、宍戸の目を見た。

「ああ」


認めてしまえば、もう、元には戻れない。
それでも、きっと大丈夫だと思えた。


「俺は、忍足が好きだ」

真っ直ぐ見据えた先、宍戸は一瞬だけ息を呑んで。

「―――お前がそう言ってくれるのを、ずっと待ってたんだ」

嬉しそうに微笑んだ。
対する跡部は目を見開く。

「え、亮、気付いてたのか!?」
「いや、なんとなくそうかなーって」
「…岳人やハギも?」
「岳人は気付いてないと思う。ハギは…どうだろ。鋭い奴だから、気付いてたかもな」

少し気まずそうに、頬を掻く宍戸。
跡部はぐんぐん顔が熱くなっていくのを感じて、いたたまれなさに立ち上がった。

「景!?」
「俺様としたことが…一生の不覚だっ」
「………。お前そんな、真っ赤な顔して何言っ」
「あーん?」
「…はいはい、すみませんでした」

冷たく見下ろせば、即返ってくる謝罪。
さすがは幼馴染、(些かふてぶてしいが)引き際を心得ている。
跡部は一度深呼吸をして、ドアに向かった。

「どこ行くんだ?」

後ろからかかる声は、やはりお見通しだと言わんばかりに嬉しそう。
跡部はひらりと手を振って、

「岳人のとこに謝りに行ってくる」

と素直に応えた。
それから、ドアを閉める一歩手前で宍戸を見遣る。
宍戸は相変わらず、含みも無く笑っていた。

「大丈夫。景ならきっとうまくいくさ」
「―――亮。サンキュ」

返事は聞かずに、ドアを閉め切る。


そして跡部は、廊下を走り出した。









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遅くなってしまい、申し訳ありませんでした!
都合により、次回も涼河のターン。

09.08.04 涼河